なぜこんなことを書いたかと言うと、最近、mixiでこういったメンタル詐欺っぽい人間からメッセがあったり、他数名の魔術を心理学的に考えるみたいな業者から足あとがつくことが多いからだ
しかも、メッセよこした自称カウンセラー業者はアメブロのリンクを貼り付けてきた
うえー…またアメブロなのー(;´д`)って感じ
広告もやたら多くて、そんなもんだからスペック低いPCではブログ書くにもやたら重いし、悪徳業者(望んでもないのにメッセ送ってきて勧誘してきたり、複数のアカウント悪用して一日に何回もペタってきたり、他人のブログのコメ欄宣伝用に使ったり)の巣窟の…
それにあそこって商用利用禁止でしょ?たしか(まあ他人のブログに上記のようなことしてなければ商用利用ってのも別に利用者側としてはどうでもいいが…)
で、本題に戻ると、そんなこんなから、魔術の理論と前に読んだ心理学の胸糞悪い本を思い出し、いつかは書きたいと、わいては消え~を繰り返していた自分の魔術に対する考えを書くに至ったのだ
はじめに、wiki引用の魔術とは…
1、人間の意志を宇宙の事象に適応することによって何らかの変化を生じさせことを意図して行われる行為、その手段、そのための技術と知識の体系、およびそれをめぐる文化。(以下長いので省略)
2、1から長じて、ケルト神話などの神話や、ファンタジーなどの物語で描写される不思議な術、技。
3、呪術、妖術、邪術、託宣、奇跡、仙術の総称。
4、奇術、手品のこと。
だそうだ
前にもなんか似たような記事を書いたことがあるが、私は未知の存在(死霊や動物霊以外の霊的存在。例えばここでは天使や悪魔)を人の内(心)にあるものとする思想が嫌いだ
もちろん、比喩的な意味合いで使う「心の中の天使と悪魔」はこれには含まれないが…
魔術の教本は、心理学とか哲学の考えを元にしたようなやたら長ったらしい言い回しの眠くなるものが多い
そしてそのどれもが魔術は心理学や哲学を置いては語れない、切り離せないと締めくくられる(理論の章ね)
ネットで調べる魔術とは…もまた心理学、哲学っぽい語り口のものが多い
そして、同時進行でこれら(心理学、哲学、他学問)も勉強しろ、呼吸法やら瞑想やらヨガで自己暗示訓練をしろ、これから呼び出す強大な力の前に屈しないためである。と、いうようなことを言ってるが完璧な自己暗示ができれば、世の中生きやすくなるから実践までする必要がなくなるのが大半では?と私は思うのだ
実践(召喚魔術)はもはや不要?そこまではさすがに書いてないが、この理屈で言うと私には実践はおまけ、付録の類では?とさえ思えてしまう
あと、心理学ね、これも私は嫌いだ
魔術で生計たてるために(ある程度人の弱みを扱う仕事だろうから)心理学を学ぶならまだしも、これを個人の趣味の範囲でやる魔術にいちいちあてがわなきゃならない理由?がよく分からない
それに心理学の本って大体、これこれこういう人はダメだ(異常な考え)
これこれこう考えるのが楽だ(正常な人間)だみたいに言ってて胸糞悪くなる
自己啓発本みたくて胸糞悪くなる
「心理学が嫌い」と検索かけて出てくるものも「嫌いな人と付き合うための心理学」とか、おい、そんな内容望んでないんだけど…みたいなものが出てきて胸糞悪くなる(これは個人的な問題ね)
つまり、何を言いたいかというと、心理学の終着地点は完璧な人間の作り方と、完璧な人間のモデルというふるいから落ちた人間とはどのようなものかというレッテルはりの学問だ
つまり、優生学
それを魔術にあてがうなんて…嫌だなと私は思うのだ
いろいろ書いたが今の時点ではこのくらいしか自分の中では整理がつかない
読み返してみてもまとまりがない
wiki的魔術の考え、私に当てはまるのは2と3(呪術、妖術)あたりだろうか?でも、現実となんら変わらない魔術の世界観よりははるかに楽しめるからいいと思う
まあ、単なる考えの整理のために書いたことなんでどうでもいいのだが、また何かこのことについて感じたことがあれば書いてみようと思う
またのー