「天皇制いらない」
「オリンピックいらない」
「戦争いらない」
上記の全部を含めて共謀罪(テロ等準備罪)現代の治安維持法はいらないと私は思っている
森友学園問題も含め、オリンピックのための優秀な人材育成とか、TVも政治(自民、公明、維新、日本の心)も戦前に戻る方向に突き進んでいる
犯罪を未然に防げるならいいじゃないか?と思う人もいるだろう
しかし、この共謀罪が成立してしまえば計画(ふざけて言ったかもしれない話し合い)の段階からそれを聞いた第三者に密告されれば捕まってしまうのだ
「ふざけて言ったんだ」「愚痴の延長でぽろっと出たことだ」そんなことを言って弁解したって犯罪に繋がる(かもしれない)悪い思想を罪と判断するのは権力者がわだ
警察が検挙ノルマ達成のために適当な市民を利用するかもしれない
もちろん、市民運動も共謀罪の対象だ
今、沖縄高江で起きている機動隊による弾圧が日本全土で展開されようとしているのだ
そのことから警察組織は拡大し、身近な例で、職質を受けやすい人では一ヶ月の職質回数がますます増える事だろうし、警察による集団スト(尾行、監視、盗聴)も増える事だろう
中世ヨーロッパでは免罪符といって、善行(献金)を積んで教会から免罪符が与えられれば、悪行、悪い思想を抱いても一時的に罪が許されるというものがあった
しかし、この共謀罪、一般人が免罪されるのは地位と金銭の問題から難しいだろうと私は思う
それから今は宗教の自由が認められているが、昔の共謀罪(治安維持法)の観点から考えると、天皇を神としていない宗教は弾圧対象になりうるという
私は昔から天皇制について疑問に感じていたのだが、確か小学生の頃、亡き祖父に「天皇制は何かおかしい」「あの人たちだけ丁寧語(最高敬語)で扱われておかしい」と意見したことがあったのだが、その時祖父は怒るような怯えるような口調で「そんな事言って、特高来ておせらいっぞ(捕まるぞ)」といわれた記憶がある
私は最近、この共謀罪についてYouTubeなどで専門家が言う「共謀罪の危険性」を勉強しているのだが、専門家が言うには昔これで天皇制と矛盾する教義を信奉する宗教関係者がかなりの数弾圧されたそうで、あの創価の創設者も獄中死したというから、公明党の創価信者は本来ならば共謀罪のことについて真剣に考えなければいけないのでは?と思うのだ
天皇は戦後、「私たちはあなたたちと同じ人間です」など一言も言っていないし、現天皇も「国民に寄り添う天皇でありたい」とは言っていても人間ですとは一言も言っていない
見るからに人間だからべつにいいじゃないかという人もいるかもしれないが、人間であると認めていない以上、共謀罪が昔のように宗教にまで介入するのは少なからずあり得るのでは?と思ってしまうのだ
そして最後に、私はオリンピックについてもおかしいと思っている
莫大な金をかけて立派な競技場を作らなければできないスポーツ(そこでスポーツをするスポーツ選手)、また開催のため投資金額によって落札されるバカげたスポーツはなくなればいいとさえ思っている
戦後がオリンピックから始まり、くすぶりつつある戦前がオリンピックから始まる
オリンピックはまるで破壊と再生を司る恐ろしい何かの象徴にも感じられる
それから、今朝のNHKニュースで関西の発電所が宮城(仙台)に設置の住民説明会(なぜ関西に置かないの?)とかいうまたわけのわからないことも含め、おかしくなりつつある社会に気付いた人は自分のできる範囲内でもいいからいろいろな媒体を利用し発信していかなければならないと私は思っている
現段階では少なくともまだ発言の自由、思想の自由は認められているのだから